ホワイトノイズ序説

人工無脳は記憶とそれを駆動するプログラムから構成されている。記憶は知識の単純な集合体である辞書と、個々の知識にルールが付随したスクリプトとに大別され、前者はあまり脈絡を重視しない世間話に向いた形式、後者は内容よりも論理の追跡を重視するインタビューに適した形式の情報格納法だといえる。人工無脳は考えるでは辞書やスクリプトについていくつか考察してきたが、特に辞書を使った人工無脳についてのデータやノウハウがそれなりに蓄積されてきた。そこで今回、現段階での人工無脳技術や周辺技術を洗いなおした上で再構成し、試作ではないフラッグシップ的人工無脳を作ることになった。これが精霊石「ホワイトノイズ」である。

さて辞書型アーキテクチャーを持つ人工無脳は、百科事典的にあらゆる返答を積めこむことでユーザの入力に正しく答える確率を上げるという戦略を取っている。したがって豊かな人格を実現するには人工無脳のプログラム部分がいくら複雑であってもあまり効果はなく、むしろ人工無脳のキャラクタにそった辞書をいかに作り込むかが重要となる。すなわちどんなすばらしい人工無脳プログラムを作り上げたとしても、それから辞書を除いてリリースすれば、それは試合のないドーム球場のようなもので、無人のグランドをいくら凝視したところで何のドラマも目の前には広がらないである。逆にプレイヤーさえそろっていればどんな野原でも魅力的なゲームは展開されるのである。

このような立場に立ったとき、辞書型人工無脳にもとめられるのは

であることは明らかであり、しかもそれらのウェイトはおおむねプログラム3に対して辞書7の割合を占めていると言ってよい。

人工無脳のプログラム本体は辞書製作者の「こうしたい」「ああしたい」という思いを妨げてはならず、彼らに快適な環境を提供しなければならない。辞書のルールは単純で見とおしが良くなければならない。そしてときには辞書設計者が予想しなかったようなことを人工無脳が話しうるような柔軟性を提供しなければならない。これらの要求を満たすようなルールは自然と簡単でロバストになるだろう。こまごまとしたギミックにあまり立ち入るようであれば、その技術は多分道を踏み外している。あなたが友達と気楽にしゃべるときを思い出してほしい。楽しく簡単に。小難しいギミックは必要ない。

辞書製作のためのガイドは、プログラム本体より重要かも知れない。わかりやすく辞書の作り方を解説したマニュアルはもちろん必要であるが、デフォルトで装備されている辞書はガイドとしてもたいへん強力である。多くのユーザはそれに自分の言葉を付け加えることから人工無脳の教育を始められるだろう。それに対してプログラム開発者は辞書にオリジナリティーを求めてリリースに同梱しない場合もあるが、辞書の成り立ちや人工無脳の動作の種明かしを知るには実際に動いている実例を見るのが最も信頼できて、誤解のない最短最良の説明の方法である。一般的な記憶は量が多い割にはあまり面白くないので作るのに時間と精神的苦痛を伴うが、多くの人工無脳に共通する場合もあるのでそれをわざわざユーザに強要して肝心の部分に注力するのを妨げるような意地悪をする必要はない。それよりもユーザ達は辞書に凝らされた工夫を見て、それをさらに発展させてくれるかもしれない。予想もしなかったような機構を作り上げてくれるかもしれない。そのほうが何倍も楽しいのではないだろうか。

辞書製作

辞書を製作するうえでトップレベルの指針は、あなたの人工無脳の目的が人と笑いあうこと、人を楽しませること、和ませることの3つであるということである。このなかで、即効性で効果的なのは人を笑わせることである。とはいうものの、これは思ったほど簡単ではない。なぜなら笑いと暴力は同じ操作の別の側面であることがおおく、また優しさと残酷さもまた表裏一体であるからである。そして笑いが強烈であるほど暴力性もまし、優しさが大きいほど残虐になるのである。ここにネットワーク上で稼動している人工無脳たちに毒舌家が多い理由がある。人工無脳はそうやって実際に相手を痛く傷つけたり不愉快な思いをさせることがあり、それはその人にとっては実在の人間に言われるのと変わらないリアルな不快感を与えてしまう。辞書製作者は人工無脳の目的に応じて毒の強さを加減しなければならない。黒衣氏は毒は必須だとしている。

次に人を楽しませる会話というものには、以下のような条件があると思われる。しゃべっていて面白い相手というのは、相手の意見を無視したり常に肯定する存在でもなければニュースリーダーでもない。ときにはユーザに反対し、独自の意見、考えさせる意見を持っていなければならない。多くのユーザがしばらく人工無脳としゃべっていると無脳が実は自分のいうことを何も聞いていないのに気づき、急速に興味を失うといったことが観察されている。このことからわかるようにユーザの意見を聞くことは辞書型人工無脳が最も不得意とするところである。(基本的にはユーザの言うことをもちろん聞いてはいないのだが。)「芸人」として人工無脳を捉えるならば、人間の芸人が確立させてきた技術を手本にするのもたいへん効果的である。オーバーアクション、独特の言葉遣い、持ちネタなどが人工無脳には古くからよく用いられている。典型的なのは占いやアニメキャラ風の語尾であろう。これもまた小手先の技術ではあるが、「自分の失敗談」も効果的である。相手を傷つけにくい笑いであり、また人工無脳に不足しがちなストーリー性のある会話を提供することもできる。

つづく