国指定名勝史跡
山寺
昭和7年3月25日指定
宝珠山立石寺を中心とする山寺は、清和天皇の勅許を頂いた慈覚大使により、
貞観二年(860)に開かれたと伝えられています。
全山を構成する角硯凝灰岩は永年の水蝕と風蝕を受けて奇岩怪石となり、
これが樹木の間に見え隠れする姿は、
四季折々に本当にすばらしい景観となっています。
また、境内地の参道石段は、建並ぶ句碑や板碑とともに苔むして、
老杉や怪石の間にはたくさんの堂塔が建てられ、
千古の静寂をたたえています。
元禄2年(1689)には、俳聖松尾芭蕉が門人の河合曽良とともにこの地を訪ね、
閑けさや 岩にしみ入 蝉の聲
の名句を「おくのほそ道」に残しています。
参拝料(\300)を納めていざ登山開始。 入口の案内図によると奥の院まで20〜40分位らしい。
仁王門
??元年(1848)に再建されたけやき材の優美な門で、
左右に安置された仁王尊像は、??の弟子達の作といわれ、
邪心を持つ人は登ってはいけないと、にらみつけている。
後方の閻魔王がこの門を通る人たちの過去のおこないを記録するという。
右の岩穴に見える石塔には、亡くなった人のお骨が入っており、
他の岩穴にも古い人骨が納められている。
別の場所には重要文化財の立石寺三重小塔がまつられています。
みちのくの仏の山のこごしこごし
岩秀に立ちて汗ふきにけり
斉藤茂吉
開山堂と五大堂
立石寺を開いた慈覚大師のお堂で、大師の木造の尊像が安置されており、
山内の僧侶が朝夕、食飯と香を備えてお勤めをしている。
江戸時代末期の再建である。
向って左、岩の上の赤い小さな堂は、写経を納める納経堂で、
山内で最も古い建物である。
県指定文化財で、昭和62年に解体修理が行われた。
その真下に、慈覚大師が眠る入定窟がある。
頭上の建物は五大堂といい、
五大明王を祀って天下太平を祈る道場で、
山寺随一の展望台でもある。