蒲原鉄道跡その3@青空がれ〜じ


加茂市に入って最初の駅が土倉です。

土倉駅跡
最初に探しに来たときは判らなかったのですが、 よ〜く探してみるとしっかりと(?)残っていました。

土倉駅と冬鳥越駅の間には、隧道も残っていました。

隧道@蒲原鉄道
隧道の撮影は困難です。し(ん)の技量不足はご容赦下さい。

冬鳥越駅跡とスキー場
冬鳥越駅跡です。 スキー場がありますが、 かなり朽ち果てているようにも見えます。 果たして営業しているのだか。。。 鐵関連の疑問が生じたときは 鐵人ぴ〜ち師匠に振ってみましょう。

後日訪れてみると、冬鳥越駅跡は綺麗に整備されていました。

その後の冬鳥越駅跡


県内最古の木造電車
(モハ1号)

 蒲原鉄道は大正12年10月20に五泉〜村松間4.2kmの運行を開始し、
昭和5年7月22日には村松〜東加茂間15.2kmを開通、昭和5年10月20に
は東加茂〜加茂間2.5kmを開通し、全線で21.9kmになります。その後、昭和
60年3月31をもって加茂〜村松間17.7kmを廃止、平成11年10月3日に
は五泉〜村松間4.2kmを廃止し、77年間続いた鉄道の使命を負えました。
 日本の鉄道車両は、大正末期から昭和初期にかけて、ようやく木製か
ら半鋼製に変わってきました。ここに展示するモハ1号は大正12年?田
車輌製造の物で、誕生してからわずか4年後に半鋼製時代を迎えます。
 当初は五泉〜村松間、その後昭和5年から昭和29年まで五泉〜加茂間
で運行され地域発展に尽くしました。
型式:モハ1
全長:11.455m
全幅:2.692m
高さ:4.064m
定員:66人
自重:20.03t
加茂市:市指定文化財


半鋼製電動客車
(モハ61号)

 この電車は昭和15年に日本鉄道自動車(株)が武蔵野鉄道の半鋼製制御
車として製造した物で、昭和初期の私鉄向きの標準電車です。昭和
33年1月に蒲原鉄道に譲渡する前に電動車に改造されました。
   昭和33年から昭和60年に村松〜加茂間が廃止されるまでと、その後
平成11年に五泉〜村松間が廃止されるまで運行され「モハ1号」とと
もに地域発展に尽くしました。
 この種類の電車は、昭和11年頃から16年頃にかけて多数製造されま
したが、比較的新しい時代の製造のためか、製造以来60年を経過した現
在,保存車両は全国的に見てもかなり数が少なくなっています。
型式:モハ61
全長:17.000m
全幅:2.725m
高さ:4.110m
定員:110人
自重:27.45t
加茂市:市指定文化財


七谷駅跡
七谷駅跡です。 民家の裏にひっそりとたたずんでいるというか、 草に埋もれているというか。。。

ハイキングコース
狭口(せばぐち)と七谷の間では 線路跡がハイキングコースに生まれ変わっているようです。

狭口駅あと(?)
狭口駅があったと思われる場所の様子です。 駅前後の線路跡は比較的わかりやすいのですが、 駅跡はほとんど残っていませんでした。 おそらく資材置き場となっているところ(写真右手)が 駅跡と思われます。 (写真は五泉側から加茂側を写したところ)

こまおか
「こまおか」駅があったと思われる場所です。 (加茂側から五泉方向を望む) 再開発が進み、とても駅があったとは思えません。 写真奧のガードレールの先には、 鐵跡を示す盛り土が残っていました。(写真省略)

東加茂駅跡と思われる場所
東加茂駅があったと思われる場所です。 (加茂側から五泉側を写す)

陣ヶ峰駅跡
高架駅であったと思われる陣ヶ峰駅跡。 民家の脇に、駅に登る階段の跡が有るとも無いとも?????

3本の鉄橋
加茂駅付近の鉄橋の様子。 JR信越線2本と、蒲原鉄道跡の計3本渡っているようですが、 使われていない鉄橋にかかっている線路は朽ち果てています。
朽ち果てた線路跡を見上げる


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