やがて片貝駅があったと思われる場所へ。
関越道をくぐったと考えられる場所。
魚沼線史
明治43年2月
明治44年5月
大正11年6月
昭和19年10月
昭和25年12月
昭和29年8月
昭和31年11月
昭和29年
昭和59年3月
大分県中津の出身で、中越・魚沼を中心に大活躍した
実業家木村松次郎は、
中魚沼郡中条村出身の岡田正平とはかり「魚沼鉄道」を計画請願。
同年10月軽便鉄道指定全国第1号として認可。
軽便鉄道全国第1号として、新来迎寺〜小千谷間が開通。
当時の小千谷駅は現在の千谷川付近にあり燃料は
薪と石炭であった。
大正8年頃までは
全国の私鉄線の中では収益が2番目であった。
大正9年の上越北線の開通により、
急速に経営不振となり政府に買収されて
「国鉄上沼線」となる。
戦争が苛烈になるにつれ不急不要路線となり、
運休となる。
線路は資材転用とされた。
片貝町の経営する来迎寺駅の
貨物専用線として、
来迎寺〜片貝間が復活、
枕木は片貝町が調達した。
一般国鉄線として復活。
現在の公園地内に新しい西小千谷駅が新設。
復活した魚沼線が
蒸気機関車を引いたのは、
昭和29年8月から31年11月までの
わずか2年3か月の間であった。
ダイヤ改正により気動車化される。
貨物取り扱い廃止。51年4月からは日本観光会社に業務委託。
「さようなら魚沼線号」とともに歴史に幕を閉じる。
廃止前のダイヤは来迎寺〜西小千谷間12.6キロを24分かけて
朝夕に2往復。
通学生用に土曜日の昼1往復であった。