寺泊線なるものがあったのかどうか、よくわかりませんが、 デジカメ片手にかけずり廻った結果について 謹んでご報告します。 あとのフォローは鉄の鉄人ぴ〜ち師匠にお任せします。

その後、鐵の鉄人ぴ〜ち師匠からフォローを頂きました。 「国鉄」ではなく、「越後交通」(道鐵岡長)だそうであります。
それにしても寺泊と長岡とはちょっと離れていそうですが。。。
そのほか、写真についてちょっとだけお褒めの言葉を頂きました。 えっ?写真じゃなくて写真の被写体を褒めただけだって? こりゃまた失礼しました。

 その後、資料をいろいろと探して追加調査を実施。 大元の「駅泊寺」があったと思いこみ、 同じ(?)越後交通のバスターミナルへ。

初代寺泊
しかしながら地図(昭和33年10月頃の国土地理院1/50,000地図)より 明らかに場所が北にあるので、おそらく違うでしょう。 「駅泊寺(?)代初」を出発して寺泊の町中を南下すると、 集落の中に怪しげな門構え。
門構
門を上から覗いた様子はこんな感じで道路になっていました。
門の上
次は「(くよいすいかりまどらて)浴水海泊寺」ですが、 駅跡と確信を持てる場所にはたどり着けませんでした。 「浴水海泊寺」で進行方向を変えて 北上すると「道新泊寺」にたどり着きます。
弐代目寺泊駅
昭和48年10月発行の国土地理院1/25,000地図によると、 ここが「寺泊」で終点となっていたようです。 それらしき場所には(写真には写っていないけど) 駅前の必需品(?)日本通運の営業所(?)が今でも残っていて、 ここが駅跡であることを物語っています。 寺泊から寺泊駅(旧:大河津駅)へはこんな感じでした。 一部分は通学路にもなっていたようです。
道路
鉄跡

昭和33年の地図には載っていませんでしたが、 昭和48年の地図には、寺泊新道と大河津の間には、 「法崎」という駅があったようです。

法崎駅跡と思われる場所
大河津駅跡はこんな様子でした。
駅跡


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